【あなたは悪くない】親に認めてもらえなかった…と感じるあなたへ
こんにちは。心理カウンセラーPocheです。
- 褒められないのは、自分が悪い子だからだ
- 認めてくれないのは、私の努力が足りなかったからだ
- 否定ばかりするのは、私のことを嫌いだからだ
突然ですが、上記のように感じることはありますか?
この記事は、子どもの頃「親に認めてもらえなかった」と感じているあなたに向けた内容です。
そう自分を責めてしまっているあなたが、記事を読み終えた時に「なんだ。私のせいではなかったんだ」と思えますように。そう願いながら、書き進めていきます。
親に認めてもらえないとどうなる?
- 褒められても、喜べない
- 褒められても、疑ってしまう
- 自分で自分を認められない
- 自分が嫌い。好きになれない
- 何かできても「まだまだだ」と思う。できないと「やっぱりダメ」だと思う
- 自分なんていてもいなくてもいいのでは、と思う
このような思いを抱えている人に共通しているのが、「認めてほしい時に親に認めてもらえなかった」という経験です。
褒められるより怒られる回数が多かった人もいれば、全く褒められたことがないという人、親の機嫌のいい時だけ褒められた人、何か出来た時しか褒めてもらえなかった人もいます。
認めて欲しい時に親に認めてもらえなかったといっても、そのパターンは人によって違います。
例えば…
- 結果が出なくて落ち込んでいた時に「頑張ったね」ではなく「なんで出来ないの!?」と怒られる。
- 頑張っても結果が出ないとダメ、親が気に入ることで結果を出さないと認めてもらえない。
- 常に1番じゃないとダメだった。
※一番だと誉められるパターンもあれば、一番が当たり前だから誉められない(でも一番意外だと怒られる)というパターンもあります。
このようにパターンはいろいろありますが、いずれも共通しているのは「認めて欲しい時に認めてもらえない」+「ありのままの自分を認められた経験がない」というこの2つがセットだということです。
自分のせいではないことで「自分」を責めているあなたに、「あなたのせいではないよ」ということを伝えたくて、今回の記事を書いています。
ひとつの事実として、子どもの頃に「どんな自分も認めてもらえて褒められた人」と「そうでない人」では、大人になった時に抱える悩みの重さが全然違います。
これは親のせいにしているわけでも、逃げでも、甘えでもありません。
心に傷を負うとどうなる?
認めてほしい人に認めてもらえなかった時、認めてほしい人に否定された時、人は心に傷を負います。
ありのままの自分を否定されたり、存在そのものを否定されたように感じて、「ありのままの私は誰も受け入れてくれない」という底知れない不安を抱えることもあります。
傍にいてほしい時に放っておかれて、そっとして欲しい時に「相手の都合でかまわれる(干渉される)」のも、同様に心に傷を負います。自分の価値が分からなくなってしまうからです。
自分なんていてもいなくてもいいのではという、無価値観を抱くこともあります。
自分の意見を言ったら嫌われるのでは、ありのままの自分を知られたらみんな離れていくのでは…と、本当の自分を曝け出すのが怖くなるケースも多いです。
子どもの頃から自分を抑え込みすぎると、どれが本当の自分か分からなくなることもあります。
こんなことで…と思わなくていい
酷い虐待のニュースや、毒親関連のブログや書籍を見て、「私はここまで酷くないし…」「私が感じているこの気持ちって、甘えなのかな」と思うこともあるかもしれません。
他人から「それくらいで」「私の方がもっと酷い」ということを言われて、落ち込んでしまうこともあるかもしれません。
ですが、暴力や暴言など、明らかに酷い出来事だけが心を傷つけるのではありません。
過干渉や過保護など、かまわれ過ぎたことによる弊害もたくさんあるのです。
特に過干渉や過保護の家庭で育ったケースでは、「せっかく相談しても周囲に理解してもらえない」「理解してもらえないどころか親不孝だと言われた」「甘えている」といった、他人からのさらなる攻撃を受けてしまうこともあります。
「子どもの頃に認めてもらえなくて辛かった」という思いを勇気を出して話したのに、「話した相手も認めてくれなかった」という2重の落ち込みに苦しめられてしまいます。
そうなると「やっぱり私は…」と、自分を責める思考に陥ります。すると、どんどん自分に自信がもてなくなっていってしまうのです。
褒められないのはあなたのせいだったのか?
大切なことを1つ、お伝えします。
それは、「親に認められなかったり、褒められなかったのは、あなたのせいではない」ということです。
今はまだ信じられなくても納得できなくても、「私のせいじゃなかったのかもしれない…」という可能性を頭の片隅に入れておいてほしいなと思います。
ではどうして認めてくれなかったのか?
どうして褒めてくれなかったのか?
色々な要因があるのですが、ここではその中から「2つの可能性」についてお伝えします。
※その他の要因については、著書『もしかしてうちの親って、毒親?』をご覧ください。
1.子育ての流行り
1950年代は「子どもを厳しく叱るのが親の役目」と言われていましたが、それから数10年後には「子どもを導くことが大切だ」という考えが広まりました。
その後は、男の子・女の子といった性別に合わせた子育てが流行ったり、「子どもを叱らない方が良い」「子どもを褒めた方が良い」という流れがきます。2000年以降は、「親も子どもに頼っていい」という内容の本も増えてきました。
ここ最近では、「自己肯定感を持てる子ども」「ありのままの子どもを認める」といった趣旨の本も人気があります。
ファッションに流行がある様に、子育てにも年代によって流行りのようなものがあるのです。
あなたが褒められなかったり、親の都合でしか褒めてもらえなかったりしたのは、子育ての流れも影響しているのかもしれません。
たとえば20代~30代の方が抱える悩みの傾向を分析していくと、過干渉・過保護の家庭環境が及ぼす影響が目立ちます。
30~40代というのは、様々な子育て本が出たこともあり影響は多岐に渡ります。親の年齢によっては、子育て本の影響よりも『自分の親子関係』の影響を強く受けているケースが多いです。(次の章に詳しく書きます)
40~50代の方の抱える悩みの傾向としては、「褒められる回数が圧倒的に少ない」「男と女での差別が強い」「親を敬うべきといった世間の風潮」などが見られます。
子育ての流行りという言葉ででひとくくりに出来るような単純な問題ではありませんが、親が「良かれ」と思って取り入れた子育ての方針が、あなたの心を苦しめてしまっているのかもしれません。
ただし、ここでお伝えしたいのは「子育ての流行りなんだから仕方ないよ」「親も親なりに頑張ったんだよ」、ということではありません。
「あなたのせいで親が認めてくれなかったのではなくて、子育ての流行りが影響していたのかもしれない」という1つの可能性についてお伝えしたかったのです。
それが分かれば、今までより自分を責めずに済むかもしれませんから。
2.親自身の問題
全ての親が「子育て本」を読むとは限りませんし、子育て本を読んだからといって「そのように実践する」とは限りません。
子育ての流行よりも子どもに影響を与えるのが、親自身が抱える問題です。
親自身が抱える問題は100人いれば100通り以上あるのですが、ここでは特に多くみられる「2つの傾向」についてだけお話ししますね。
1つめは、自分の「親の子育て」をそのまま繰り返すこと。
自分が親から受けた子育てをそのまま子どもに繰り返します。
親の方はそれが正しいと信じているので、「子どもの頃のこれが嫌だった」「辛かった」と勇気を出して親に伝えても、反撃にあって後悔するケースが多いです。
(例)
- 厳しくされたから、厳しく育てる。
- 褒められずに育ったから、褒めずに育てる。
- スキンシップなんて受けてないから、スキンシップはしたくない
- 親の言うことは絶対
2つめは、自分の「親の子育てと180度違う」子育て。
自身の親が毒親だったと感じていたり、幼少期に辛い思いをして「自分は同じ子育てはしないぞ!」と決意した人は、親と180度違う子育てになりがちです。
それはそれで良い方向に作用することもあるのですが、時には「自分のしてほしかったこと」を子どもに押し付けてしまい、結果として子どもが苦しんでしまうこともあるのです。
「自分がしてほしかったこと」と「子どもがしてほしいこと」の区別がつかず、「これをしてほしいはずだ!」と自分の意見を押し付けてしまうことがよく見られます。親にしてみれば「たくさんしてあげた」なのですが、子どもにしてみれば「本当にしてほしいことをしてくれなかった」となってしまうわけです。
大人になった時に抱えやすい悩みとして、次のようなものが挙げられます。
- 自分で決断できない
- 自分の意見に自信がもてない
- 人との距離感に悩む
- 本当の気持ちが言えない
- お願い、頼ることが苦手
- 極度に警戒するか、依存しすぎてしまう
褒められないのはあなたのせいではない
長年カウンセリングをして、何千人という親子を見てきました。
だからこそ、「褒められないのは子どものせいではない」と断言できます。
子育てをしていれば、子どもを褒めるタイミングはたくさんあります。
あなたも小さな頃、「お母さん褒めてくれるかな」と思って頑張ったことが一度はあるのではと思います。
たとえば、お手伝いでお茶をコップに入れるつもりが、こぼしてしまうこともあるかもしれません。
それでも親は、「手伝おうとしてくれたんだね」と動機を認めて伝えることができます。結果だけではなく、「なぜその行動をとったか」を見て褒めることもできます。
親に喜んで欲しくて、プレゼントを贈ることがあったかもしれません。
親が本当に欲しいものではなかったとしても、「プレゼントしようと思った気持ち」に感謝を伝えることができます。不満や文句をそのまま伝えるのではなく、子どもの動機や気持ちを受け止めてあげることができます。
…それにもかかわらず褒められなかったり、ありのままの自分を認めてもらえなかったと感じるのなら、それはやはり「子どものせいではない」のです。
お母さんは、忙しくて心の余裕がなかったのかもしれません。
褒めることの大切さを知らなかっただけかもしれません。
親なりに、あなたを愛して大切にしてくれたかもしれません。
でも、お母さんの事情を理解してあげることと、「褒められなかったのを自分のせいにすること」は違います。
母親に事情があったから、子どもが我慢しなければいけないということはありません。傷ついたことを無かったことにしなければいけないということも、ありません。
母親に事情があるように、子ども側にも事情があるのです。
あなたが出来ないから、褒められなかったのではありません。
あなたがダメだから、認めてくれなかったのでもありません。
あなたの親が、親側の事情で「してくれなかった」だけなのです。
…「してくれなかっただけ」というと些細な出来事のように聞こえるかもしれませんが、「してくれなかった」という影響は大人になって顕著に出ます。
人に褒められても何か達成できても、「なぜか自分を認められない」に繋がってしまうこともあります。
この記事が、なぜか自分を認めらえないというあなたに届き、「自分のせいではなくて別の原因でそうなっている」と気づく一つのきっかけになればと思います。
なぜか自分に自信がもてなかったり、ありのままの自分を認められない人は、「子どもの頃に親から認めてもらっただろうか」「どんな時でも褒めてもらっただろうか」と思い出してみてください。
もしかすると「認めてもらった」「褒めてもらった」経験が少ないせいで、自分を認めることが出来ていないだけかもしれません。
あなたはすでに、もう十分できているのかもしれませんから。