【疲弊する…】人と話していると「喜ばせなきゃ」「いいことを言わなきゃ」「楽しませなきゃ」と頑張りすぎてしまう
こんにちは。心理カウンセラーPocheです。
突然ですがあなたは、人と話す時に次のように感じることがありますか?
- 相手を喜ばせなきゃと思う
- 相手を楽しませなきゃと思う
- 何かいいことを言わなきゃと思う
- 面白いことを言わなきゃと思う
- つまらない人だと思われたくない
- おかしい人だと思われたくない
- 相手の反応がとても気になる
今日の記事は、人と一緒にいると疲弊してしまう…というあなたに向けた内容です。
人と話すことを楽しめますか?
「人と話すのが大好き!」「おしゃべりすると元気が出る!」という人もいれば、「人と話すのが苦手」「人と話すのは好きだけど、疲れてしまう」という人もいます。
会話を楽しめるかどうかの差は、人と話す時にあなたが何を気にして、何を心がけているかの差です。
どちらが良くて、悪いということはありません。
だから、「人と話すのを好きにならなければいけない」「楽しまなければいけない」ということはありません。
でも、もしあなたが、「会話を楽しめるようになりたい」と思っていたり、「人と話しても疲れないようになりたい」と思うなら、今回の記事がお役に立てるはずです。
「なぜ疲れるのか」「なぜ楽しめないのか」が分かれば、疲れる原因を減らしていけるからです。
記事を読むうちに「そうまでして会話を楽しめなくていいや」と思えば、それもそれでOKです。
「会話を楽しめなくてもいい」と心から納得できれば、「なぜ楽しめないのだろう」と悩むことはなくなり、それだけで自分を責めずに済むからです。
※「会話を楽しめない」という思っている時は、楽しめない自分を無意識に責めてしまっています。
会話を楽しめる人・楽しめない人の差
会話を楽しめる人は、相手よりも「自分」に関心が向いています。
会話の目的は、自分が話したいことを自由に言って、それを聞いてもらうこと。
究極のところ、相手のことはどうでもよく、自分が気持ちよく話せればいいのです。
だから、極端なことを言うと、相手がつまらなさそうだとしても自分が気分よく話せれば「ああ楽しかった」「スッキリした」と思えます。
※そもそも相手のことを気にしていないので、「相手がつまらなさそう」ということを知りません。相手の様子が気にならないというより、「気づいていないから、気にならない」のです。
一方、会話を楽しめない人や、会話に疲れてしまう人は、関心が「相手」に向いています。
「自分が楽しく話そう!」という思いよりも、「相手はどう思うかな」「相手は楽しんでいるかな」という思いが強いのです。
だから、自分の好きなことが言えなかったり、本心ではないことを言ってしまったりして疲れてしまいます。
会話しながら相手の様子を見て、相手の気持ちを考えて、自分が何を言うべきか正解を探す……。
このような状態で会話を続けるので、五感がフル回転状態になってものすごく疲れてしまうのです。
人と話すと疲れる理由
「人と話すのが疲れる」と一口に言っても、その理由はひとりひとり違います。
関心が「相手」に向いているのは共通ですが、「相手の何を気にするのか」は個人差が大きいところです。
ここでは、特によく見られる理由について、実例を交えて3つご紹介します。
どれか1つだけではなく、いくつか当てはまる場合もありますので、「自分に近いものはどれだろう?」と考えながら読んでみてくださいね。
※実例は掲載許可をいただいた上で、本人が特定できないように一部内容を変えています
理由1:相手の反応が気になる
「これを言ったらどう思われるだろうかと考えてしまって、自分の気持ちがうまく話せません。この話には興味がなさそうだな…と分かると、それ以上話せなくなります。だから、当たり障りのない会話くらいしかできません」
「相手に怒られないだろうか、相手を不快にさせないだろうかと、ビクビクしてしまいます。会話を楽しむというより、会話で失敗しないように気を張っている感じです」
思ったことや感じたことをそのまま言う人は、疲れません。
でもこのタイプのように、自分が話したことを相手がどう受け取るかが気になる場合は、「何を言うか」「どう言うか」に神経を使います。
自分が何を言うか→言った後の相手の反応を見る→相手の反応を見た上で返答する→相手の反応を見る……この繰り返しによって、頭の中がへとへとに疲れてしまうのです。
自分が何を言うかを吟味するだけでも疲れてしまいますが、「言った後の相手の反応」も気になるので、二重で疲弊してしまいます。
「疲弊してしまう」というと、まるでよくないことに聞こえるかもしれませんが、そうではありません。
「疲弊してしまうほどのことをこなしている」「そりゃ疲れるよね」と、自分の頑張りを認めてあげてくださいね。
疲れてしまうあなたがダメなのではなく、疲れて当然のタスクを会話内でこなしているのですから。
理由2:自分に自信がない
「自分なんかと話していても楽しくないだろうなと不安になります。ほんの少しでも相手が退屈そうに見えたら「ああ、やっぱり」と思って、その場から逃げ出したい気持ちになります。沈黙も苦手です」
「面白いことも言えないし、会話を盛り上げるのも苦手なので、なんだか申し訳なくなります。みんなは楽しそうに笑っているのに、私はいつも作り笑いです。ちゃんと笑えているのかも、分かりません」
人の脳の習性上、「思ったこと」「気にしていること」が目に入りやすくなります。
間違い探しで、「間違い」が見つかるのと同じ原理です。間違い探しは、「間違いがある」と思って探さなければ、ただの2枚の絵。間違いがあると思って探すから、間違いが見つかるのです。
そのほか、「新しい靴を買ったら、やたらとみんなの靴が目に入るようになった」「新しい車を買ったら、自分と同じ車がよく目に入るようになった」というのも脳の習性によるものです。
だから、「自分と話していてもつまらないだろう」「自分は面白いことを言えない」という思い込みが強い場合、相手の一挙一動が「つまらなさそうにしている」というネガティブな想像に結びついてしまいます。
次に書く「理由3」は「相手を喜ばせなければ」「楽しませなければ」ということに注意が向いていますが、このタイプの場合は「相手を怒らせないように」「不快にさせないように」ということに注意が向いています。
何を言えば相手を怒らせないか、何を言えば空気が悪くならないかなど、相手を不快にさせないことが最優先事項です。
「怒らせる」「不快にさせる」というのは、人にとって恐怖や不安の対象になります。
相手の表情や仕草から相手を不快にしていないか読み取ろうとするので、雑談するだけでも疲れてしまうのです。
理由3:自分より相手優先
「話していると、喜ばせなきゃ、楽しませなきゃと思います。相手が楽しそうにしてくれていたら、ホッとします。逆に、自分が楽しく話せても、相手が退屈そうにしていると「しまった!」「やっちゃった…」と後悔してしまいます。
「こう言って欲しいのかな」と、相手が言って欲しそうな言葉を選んでしまいます。自分の本心ではないことも言ってしまって、家に帰って「なんであんなことを言っちゃったんだろう」と思うことも…。嘘をついているようで、自分が嫌になることもあります。
「理由2」は相手を不快にさせないことが最優先事項でしたが、こちらは「相手の楽しませること」が最優先事項です。
もし仮に自分が楽しく話せたとしても、相手が満足していない様子だと気づいた時に「自分ばかり楽しんでしまった…」「私ばかり話しすぎてしまった」と後悔します。
相手が楽しそうであれば「うまくいった」「よかった」と思えるし、反対に相手が楽しそうでなければ「ダメだ」「失敗した」と自分を責めて落ち込んでしまいます。
自分が楽しく話すことよりも、相手が楽しく話せることを大切にしているからです。
相手を優先するのがダメだ、と言いたいのではありません。
相手を優先できるのはあなたの素敵なところであり、そんなあなたに救われた人もたくさんいるはずです。
でも、会話するだけであまりに疲れすぎてしまうのであれば、相手のことを考えすぎている可能性があります。
相手のために倒れてしまっては、それこそ大変です。
だから、「相手のことをそこまで考えないでおきましょう」と言いたいところなのですが……
このタイプの人は、それがなかなか難しいのです。
子どもの頃から誰かを喜ばせてきた人の場合は、人と話すと自動的に「相手を喜ばせよう」と思考が働いてしまいます。
この場合には、一人の時間を作って「誰かのために動かない時間」を設けてみてください。
人のために動けてしまうからこそ、「一人の時間」で心と体を回復させたり、「一人の時間」で自分のことを考えてあげる時間が必要です。
子どもの頃の親子関係から分かること
先ほどお伝えした3つの理由、「人を不快にさせないように」という思いも、「人を喜ばせなきゃ」という思いも、「どうせ自分の話はつまらない」という思いも……
もとを辿れば過去の親子関係にいきつきます。
人間関係のベースは、親子関係にあります。
植物で例えるなら、人は「花や木」。親子関係は、「土壌」です。だから、良くも悪くも、過去の親子関係は「あなた」に影響を及ぼします。これは、あなたのせいではなく、とても自然なことです。
それゆえ、子どもの頃に親に対して気を付けてきたり、頑張ったりしていたことが、大人になった時に「他人に同じように働く」のです。
※親以外にも、祖父母や学校の先生などが影響を与えることもあります。
人を不快にさせないようにという思いが強い人は、子どもの頃から「親を不快にさせないように」「怒らせないように」と気を付けていることが多いです。
人を喜ばせたいという思いが強い人は、子どもの頃に「親を喜ばせよう」「親に笑って欲しい」という動機から頑張っていることが多いです。
その他、「自分なんて」「つまらないだろう」という思いが強い場合には、親が自分のことに関心がないように感じていたり、「あなたは面白くない」「あなたの話はつまらない」と直接的に言われていることもあります。
人は、子どもの頃に、親との関係や関わりを通じて、「〇〇をすると、何が起こるのか」を学びます。
親が言ってほしそうな言葉を伝えた時に親が喜べば、「それがいいこと」だと感じます。大人になった時にも、「いいこと」を続けようとします。
反対に自分の意見を言った時、親が怒ったり反対したり、悲しんだりした場合には、「それは悪いことだ」と感じます。大人になった時にも、「してはいけない」と無意識にブレーキが働きます。
子どもの頃に学んだ「こうするべき」「これがいい」「これはダメ」という価値観は、正しいとは限りません。
子どもの頃に学ぶ事柄は、親の価値観に大きく影響されたものだからです。
自分の気持ちを言うのは悪いこと?
たとえば、「自分の気持ちを言うと、親を不快にさせてしまう」という過去の経験から、「自分の気持ちを言うと、相手を不快にさせてしまうのでは」と不安や恐怖を抱えてしまう……このようなケースは非常に多いです。
でも、「自分の気持ちを言う=相手を不快にさせる」とは限りません。
相手が自由に自分の気持ちを言うように、あなたにも自分の気持ちを言う権利があります。あなたが相手のことを考えてあげているように、あなたのことも考えてもらっていいのです。
あなただけが、相手を気遣い、言葉を慎重に選ばなければいけない…ということはありません。
親の価値観に影響されることが、ダメだと言いたいのではありません。
でも今のあなたが、「生きづらい」「人と話すのがしんどい」と感じるのなら、過去に植え付けられた親の価値観があなたを苦しめてしまっています。
過去に植え付けられた親の価値観は、大人になった今のあなたが上書きしていけます。
そのためには、あなたに不要な価値観、今のあなたを苦しめている価値観について「これは過去に植え付けられたもの」と認識し、「もう必要ない」と信じることが必要です。
「人を喜ばせなければいけない」という過去の価値観に疲れてしまったなら、「人を喜ばせなくても大丈夫」「自分も楽しんでいい」という新しい価値観で上書きしていきましょう。
「人を不快にさせてはいけない」という過去の価値観に疲れてしまったなら、「意見を言っても不快になるとは限らない」「自分の意見も言っていい」という新しい価値観で上書きしていきましょう。
「自分なんて」という過去の価値観に疲れてしまったなら、「自分に価値がないからそう思うのではなく、過去にそう思わされていただけなのだ」と信じることから始めてみましょう。
子どもの頃、親の価値観を自分に取り入れたように、大人になったあなたが「必要な価値観を自分に取り入れる」ことで、あなたを苦しめている思い込みは減らしていけます。
今から、ここから、変えていけます。大丈夫ですよ。